
「まあ、人それぞれだよね」
この言葉って非常に使いやすいですし、どの会話でもこの結論で終わってしまいます。
何故なら、生き方も、考え方も、人それぞれだからです。
生き方に正解なんか無いですし、考え方に正解なんてないですので。
もしかしたら、社会の中や人間関係の中での正解ならあるのかもしれませんが。
基本的に人それぞれです。
しかし、万能に見える「人それぞれ」にも弊害はあると思っています。
「人それぞれ」は万能であり、最も平和的であり、最も楽な逃げ道ですから。
「人それぞれ」は全ての会話を終わらせる

例えば、Aくんが完璧な言い分を用いて「結婚はするべきだ」という結論に至ったとして、
それをBくんが「でも、それって人それぞれだよね」という返しをしたとします。
こういう返しをしてしまうと、Aくんはぐうの音も出ません。
何故なら、結婚をした方が良いか。しないほうが良いかというのは人それぞれだからです。
こうなってしまうと、この議論はそこで終わってしまいます。
これは、どの議論・会話においてもそうです。自分自身の感情や思考を伝え合うそういった場においては、
「人それぞれ」というのは全てを終わらせてしまう悪魔の為せる技なのです。
皆さんも、一度友達や家族との会話に使って見てください。
嫌われること間違いなしです。
生き方や思想はぶつけあうべき
先ほどの例の目的が「より良いものを探り合う・最適解を見つける」ための「議論」だったとして、
Aくんが「結婚はするべきだ」と言ったのなら、
Bくんも「結婚はしないべきだ」と言うべきだったのです。
どの生き方・思想が良いか悪いかというのは人それぞれだと冒頭にも言いましたが、
それでは「より良い生き方・思想」というのは出来上がっていきません。
なので、どんどん自分の生き方や思想は表明してぶつけあうべきで、
そうしてぶつけ合えばぶつけあうほど、最適解というのが出来上がってくると思うのです。
どういう生き方はどういうところが良くて、どういうところが悪いのか。というのを比較し、
取り入れるべきところがあれば取り入れ、いらないものは切り捨て、
自分に最も適したものとして昇華させていくことこそ、重要なことなんではないでしょうか。
軸を決める重要性

簡単に「人それぞれ」で終わらせないということは同時に「自分の意見・意思を軸として持つ」ということでもあります。
ポジションを取れという話にもなってくるかもしれません。「ポジショントークをして自分を有利な立場にしようとする」ということではないです。
「自分の考えの立場をしっかりと取って客観的に分析する」ということです。
例え、それが最適解からは遠かったとしていても、間違っていたとしても、
自分の軸を持っていなければ「人それぞれ」に流され、議論もせず、思考もせず、最適解に近づかないまま終わってしまいます。
まず、「自分はこう思うんだ」ということを決めなければいけません。それがどういう意見だろうが関係ないです。そこから積み上げていけばいいだけの話なので。
なので、自分自身のポジションを取り、意思を表明するというのは非常に重要なことなのです。
殊更、自分の人生を、自分で選択し、決断していきたいと考えているのならば尚更です。
この事に関して、此方のちきりんさんの記事は非常に参考になります。
何か言っているようで、何も言っていない人間は世の中にたくさんいるので、
そういう目線で人を観察したり、自分自身はそうなっていないか見てみると面白いかもしれません。
「人それぞれ」で終わらないのも危険
ただし、結論が「人それぞれ」で終わらないというのも危険なことです。
何故なら、それは生き方や思想の押し付けあいになってしまうので。
結局、「結婚するべきなんだ!」とAくんが暴れだしても困るでしょう。
どれが正解か。というのは少なからずとも「人それぞれ」で終わるはずです。
しかし、その結論に至るまでの過程を「人それぞれ」で簡単に終わらせてしまってはより良いものは積み上がっていかないとう話です。
そして、もちろんこの考え方もあくまで僕の軸の僕の考え方であって、どれを受け入れて、どれを切り捨てるかもあなた次第というわけです。
良いものを作り上げていくポイントは「目的設定」と「素直さ」のような気がします。