
こんにちは。not (@minimalman10)です。
嫌なことって本当に嫌ですよね。
僕は過度の緊張が本当に嫌いだったり、雑音・騒音とかが物凄く嫌だったりします。。
みなさんも嫌いなものの数なんて両手では足りないでしょう。
好きなことをする。嫌いなことはしない。
最近では、「好きなことをする。嫌いなことはしない。」という風潮が顕著だなとまだまだ若いながらも感じております。
その大きな問題として、新入社員の短期退職が増加しているそうで、経費がかかっているので、企業は辞めさせないように必死なようです。。
これは、単に様々な要因があると思いますが、一つとして挙げられるのが、「できることが多くなった時代」になったからであると思っています。
お金がなければできないことを除けば、仕事の種類は多岐に渡って存在し、パソコン一つあれば音楽を作ることも、動画を作ることも、配信することも、文章を書いて発信することでも何でもできます。
仕事はいっぱいあるし無理に自分にあっていない仕事をしなくてもいいんではないかと現代の若い人たちは感じているのでしょう。僕もその一人ですが。。
まあ、これはこれでいいんではないかと思います。
別に僕は「逃げること」を否定はしません。単に自分が後悔しないかどうかの問題ですから。
もはやしがみつくぐらいならさっさと逃げればいいと思っているぐらいです。
日本人はあまり逃げる風潮はなく、もはや「逃げは悪」と思われている不思議な国なので大げさなくらいがちょうどいいのではないでしょうかね。。
まあ、今回は「逃げ」の是非はおいておきましょう。
今回は、「好きなことをする。嫌いなことはしない。」ということを言葉のままに受け取ってしまうことの危険性について考えて行きたいと思います。
前の記事で「好きなこと」についてはお話ししましたので気になる方はこちらをどうぞ。。
「嫌なこと」とストレス
嫌なことから逃げるかどうかは個人の判断ですが、逃げ続けていると「嫌」の範囲が広まってきます。
すると、ストレス(刺激)を「嫌なこと」と勘違いしてしまいます。
確かに、有害なストレスは避けなければいけないものですが、成長もまたストレスによって促進されます。
例えば、勉強が良い例になります。
新たな分野を学ぼうとするとき、最初は全然わからないことだらけで頭がおかしくなりそうになることは誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。
しかし、この「わからない状態」を乗り越えると全体像や細かなところを理解することができるようになるのでその分野を学ぶことが非常に楽しくなります。
これが勉強が楽しいと感じる人のメカニズムです。
勉強って「は?」と「余裕。」の繰り返しだから、
「は?」を乗り越える技術さえ持っていて、「は?」があるってことさえ理解していれば、永続的に勉強は続ける事ができるし楽しい。
「は?」があることに対して「は?」ってなる奴が大体勉強嫌いになる。
— not@内向型ミニマリスト (@minimalman10) 2018年7月31日
しかし、「わからない状態」を「有害なストレス」や「嫌」という風に解釈してしまい排除してしまうとその分野は一生「嫌」になってしまい「苦手」になってしまいます。
もしかしたら、自分にとってその分野を理解することができれば凄く楽しいかもしれないし、凄く得意な分野かもしれないのに、
「ストレス」を「嫌」と勘違いして排除してしまうのは非常に勿体無いと思いませんか?
多分、思考も言語化しないで「嫌から逃げろ」を言葉のまま受け止めて実行してしまうと、全ての事象から逃げることになる。
「ストレス=嫌」の構図が出来上がってしまっているから。
勉強なんて好きなことでも最初は苦しいものでみんな嫌。
そういう避けられない嫌からも逃げてしまうことになる。— not@内向型ミニマリスト (@minimalman10) 2018年8月4日
「本当に嫌」か「次に繋がる嫌」かを見極める
「嫌」というのを分解してみると、先ほども言ったように、
「本当に嫌(有害なストレス)」と「次に繋がる嫌(適切なストレス)」の二つがあります。
この二つを見極めて「逃げる」か「戦うか」を選択していかなければいけません。
逃げることは否定しないが、逃げているとだんだんと「ストレス」がすべてに拒否反応を起こしてくる。
「ストレス」つまり「刺激」は成長するためには必要なわけで、
「適切なストレスを受けて乗り越えようとする力」と「有害なストレスからすぐ逃げる力」を見極めることが重要。
— not@内向型ミニマリスト (@minimalman10) 2018年8月4日
全てコマンドの逃げるを選択してしまうとレベルは上がりませんよ。ドラクエと同じです。
レベルを上げずに宿屋でダラダラしたい方は逃げ続けてもOKですが。
なので、世間の言葉を都合よく取り込んでいくのはいいですが、きちんと自分の言葉で再定義していかないとわけがわからないことになるので、気をつけましょうね。