まずはこちらの動画を見てみましょう。
これは、映画実写版カイジの中での利根川のスピーチです。気になる方は映画を見てください。
僕、個人の見解では、過去どれだけ邦画の実写版が失敗してきたかにもかかわらず、成功した数少ない映画の一つだと思っています。
香川照之さんの演技は鳥肌ものですが、注目してもらいたいのは、この言葉。
世間はお前らのお母さんでは無い。
まあ、この一言で十分なパワーワードなのですが、この言葉は非常に共感できますし、一人一人が胸に刻み込まなければならない言葉だと思っています。
実際にそうなのです。世間はお前らのお母さんでは無いのです。
社会とは、残念ながら弱者に優しいようにはできていません。(ここで言う弱者とは情報弱者や低所得者のこと)
自分自身がやるしかない
先ほども言いましたが、現状、国に頼りきると言うのは非常に危険なことです。
なので、僕たちは「自分自身」で道を切り開いていくしか無いのです。他にあなたの世話をしてくれる人はいません。
こうやって働いたほうがいいんじゃない?お金はこうやって運用していったほうがいいんじゃない?
こっちの仕事の方が合ってるんじゃない?こうした方が幸せじゃない?
世間はこんなことを教えてくれません。お母さんではないからです。
企業と自分自身の幸せの相違
話が逸れてしまいましたが、今回はこのような激動の時代においての企業・仕事選びの時に考えることです。
まず、抽象的に言いますと、僕たちは幸せになるために働いています。
しかしながら、企業の幸せというのは利益を上げることです。
例えば、企業が利益を上げるためには生産性を無視したとして、従業員の労働時間を増やせばいいのです。
すると、利益も挙げられて、会社は幸せです。ハッピーハッピー。
まあ、そういう企業をブラック企業と言いますが。。
しかし、従業員は負担が増えて疲労し、幸せにはなりません。
例えば、「従業員の幸せ」が家に帰って遊ぶことだとするならば、「従業員の幸せ」とは、労働時間の短縮になります。
そこに『個人の幸せと会社の幸せとの相違』が生まれるわけです。
しかしながら、僕たちは会社の幸せに基準を合わせる必要はないのです。
なぜなら僕たちは自分自身が幸せになるために働いているのですから。
優秀な若者の進路について、投資家から見れば起業してもらった方が得するし、経営者は従業員になってくれた方が、教授は研究を手伝ってくれた方が得する。聞かれてもないのに「これからの若者は~すべき」みたいな話してくる大人見たとき、相手の立場と利害を差し引いて考える位の知恵は知っとくべき。
— 西内啓 Hiromu Nishiuchi (@philomyu) 2018年6月30日
コチラの記事には、もっと詳しく専門的に会社と個人の幸せの相違について書かれていますので見てみると参考になります。
結果として、「自分自身の幸せが会社の幸せにすり替わってしまうこと」はなんとしても防がなければなりません。
ブラック企業の過労で自殺というなんともやるせない事件多発していますが、それらも個人が会社の幸せに押しつぶされた結果なのだろうと思います。
会社は幸せへの踏み台
言い方は悪いですが、僕は就職なんてものは自分自身の幸せのための踏み台であるとしか考えていません。
僕の仕事・企業選びの視点はただ一つだけで、それらが『どれだけ自分に価値をもたらしてくれるか』ということです。
『自分自身の価値を上げるもの』というのはつまり『技術・スキル』です。
自分はその仕事・企業でどのようなスキルを得ることができるのか。
そして、それが自分の幸せにどう繋がるのかということを考えて行く必要があるのです。
就職も、転職ありきで考える必要がある。その仕事・企業に学ぶことがなければ、どんどん辞めていった方がいい。ということです。
どういう人生を生き、どういう幸せを掴んでいくのかというのは全てあなた次第です。
周りの人は決めてくれませんし、決めることはできません。あなたが、あなた自身で動き出すしかないのです。
この心を胸に刻んで、さあ早く歩き出しましょう。
世間はお前のお母さんではない!