あなたはどんな性格を持っていますか?
短気?マイペース?臆病?社交的?気配り上手?几帳面?神経質?
まあ、いろいろあると思います。
しかし、アドラー心理学ではこれらの「性格」と呼ばれるものは全て自分次第で変えられると言っています。
僕たちは「性格」というものが遺伝的・先天的に決まっているからこそ、その性格に合致した行動をするのではないかと思ってしまいます。
これは非常に信じがたいことですが、一体どういうことなのでしょうか。
詳しく見ていきましょう。
ライフスタイル
アドラー心理学では「性格・思考や行動のクセ」のことを「ライフスタイル」と読んでいます。
簡単に「性格」のことであると考えてもらえればいいと思います。
そしてアドラーは、
ライフスタイル(生き方の癖)とは、人生の設計図であり、人生という舞台の脚本である。ライフスタイルが変われば、人生はガラリと変わるだろう。
と言っています。
まあ、そうですよね。
「内気な人」が「社交的」になれば、新たな世界が広がると思いますし、
「よく気を使う人」が「他人を気にしない」ようになれば、非常に楽になるかもしれません。
まさに人生はガラリと変えることができると思います。
しかし、問題はそこではなく、本当にそのように「性格は変えられるのか」ということですよね。
性格はいつまでに変えることができるか
自ら変わりたいと思い努力をすれば、性格は死ぬ1、2日前まで変えられる。
アドラーは「死ぬ1日、2日まで変えられる」と言っています。
つまり、「その瞬間に自分次第で性格は変えることができる」ということです。
一度こう考えて見てください。僕たちの性格を決めるのは「過去の出来事」ではないですか?
「人とよく話したりする」から「社交的」であり、逆に「人とあまり話さない」人は「人見知り」となってしまいます。
「人とあまり話さない人」が「社交的」とはならないですよね。
ですが、「人と話すこと」も「人と話さないこと」も自分次第でどうにかなりますよね。
つまり、社交的になることもできますし、人見知りになることもできます。
つまり、行動さえどうにかしてしまえば、人は性格を自分次第でどのようにでも変えられるのです。
「目的論」と「原因論」
このような、「全ての感情や行動は目的を達成するために行われる」というような考え方を「目的論」と言います。
「勉強をする気が起きない」のではなく、
「勉強をしたくない」から「やる気を起こさない」だけだ。
「人見知りだから話さない」のではなく、
「話したくない」から「人見知りになった」だけだ。
「今」の選択はどうにでも変えられる。例え、怠惰でも。人見知りでも。臆病でも。
— not@内向型ミニマリスト (@minimalman10) 2018年10月18日
アドラー心理学においてはこの「目的論」によって構成されています。
そして、もう一つ対極の考え方として「原因論」というものがあります。
これは、「感情や行動は過去の原因から生み出される」というもので、心理学者のユングやフロイトがこの考えを提唱しました。
アドラーはこの「原因論」を真っ向から否定する形で、「目的論」を提唱しました。
今まで「原因論」で考えてきた人にとっては「目的論」の考え方は非常に驚くべき考え方ではないでしょうか。
トラウマは存在しない?
アドラー心理学では「目的論」を提唱したのと同時に「トラウマ」の存在も否定しています。
僕たちは「過去の原因」のせいで「現在の行動や感情」が起こっていると考えてしまいがちです。
しかし、それらは全て「自分の目的のために自分が選択したこと」です。
少し難しいですが、つまり、『過去に何が起こったかということは現在の行動や感情とは何ら無関係である』ということです。
なので、本来「〜〜だから〜〜できない」ということはありえないということになります。
これは、「劣等コンプレックス」になるので、今すぐやめるべきです。
必要なのは「勇気」だけ
全ての物事を「目的論」で考えてみると、面白いことに「言い訳」が通用しなくなります。
「お母さんに宿題しろと言われたからやる気がなくなった。」「自信がないから告白したくない。」「どうせ上手くいかないから挑戦したくない。」
というのは、
「宿題をしたくないからやる気をなくした。」「傷つきたくないから自信をなくした。」「失敗したくないから上手くないと思い込んだ。」
ということになります。
つまり、「やる」か「やらない」か。というのは、過去によって決まるのではなく、
「今」の自分自身の選択によってどうにでもなるのです。
なので、「〜〜だから〜〜できない」ではなく、
「〜〜したくないからしない」「〜〜したいからする」という考え方に変えていきましょう。
そして、その上で「する」か「しないか」ということを行動に移すかどうかはあなたの『勇気』次第です。