
僕は常々こう思います。
なぜなら、どれだけ行動しても、どれだけ何かを成し遂げても、どれだけ価値のあると言われている人生でも、
結局は死ぬんですから。
ニヒリズムとは
実は、このように「全ての物事に真理や目的、意味、価値がないと考えること」を『ニヒリズム』と言います。
また、そう言う風に考える人を『ニヒリスト』と言います。
ニヒリズム
ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)とは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。
引用 wikipedia
ニヒリズムと向き合う
その意味も価値もない世の中を肯定した上で、哲学者のフリードリヒ・ニーチェはこう言いました。

ニーチェによると、ニヒリズムに直面した人間はこうなるらしいです。
心理学者を自認するニーチェによれば、ニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つある。
- 何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、消極的・受動的ニヒリズム)。
- すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、積極的・能動的ニヒリズム)。
引用 wikipedia
つまり、消極的ニヒリズム・受動的ニヒリズムというのは、

ということで、積極的・能動的ニヒリズムというのは、

ということです。
前者は、ニヒリズムを受け入れて、人生に価値を見出せずにいますが、
後者は、ニヒリズムを受け入れながらも、自分自身が考える価値を見出して生きていこうとしています。
どちらの態度で生きれば良いか
積極的ニヒリズムであろうと消極的ニヒリズムであろうと、そこにも正解はないですし、良し悪しもないです。
なぜならどう生きようと価値も意味もないので。。
しかし、ニーチェは「積極的・能動的ニヒリズム」を推奨しました。
僕もニーチェと同じで「積極的ニヒリズム」を推奨します。
なぜなら、ニヒリズムを受け入れた双方の状態は、希望を持つか、絶望するかの差です。
別に、消極的ニヒリズムになって絶望しながら生きるか、自殺するのもありですが、

と思うわけです。
自分自身にとっての人生の価値を見出す
では、あなたの人生の絶対的価値というのはなんでしょうか?
例えば、誰かを笑顔にすることを人生の価値として定めているのもいいでしょう。
有名になること。金持ちになること。勉強すること。働くこと。家族の笑顔を見ること。遊びまくること。
一人で慎ましく暮らすこと。毎日パーティでお祭り騒ぎ。夢を叶えること。
僕みたいに『楽しく暮らす』ことに絶対的な価値をおいてもいいと思います。
自分自身が定めた絶対的価値は他の人と比べる必要はないですし、優劣なんかあるわけがないです。
面白いtweetがあったのでご紹介します。
羽生選手がこの十年間、努力、勝利、そして栄光を積み重ねている間、私はこの十年間、豆腐の空きパックとトイレットペーパーの芯を積み上げ続けていた。 pic.twitter.com/4qUE4JpPUV
— 戌一 (@inu1dog1) 2018年2月18日
一見、他人目線から見るとしょうもないことだと思いますよね。
羽生くんの栄光と比べるまでもないと思ってしまいがちですが、そもそも羽生くんの栄光も、トイレットペーパーも芯を積み上げることも、本来どちらも同じく価値なんてないのです。
しかし、羽生くんから見れば、その栄光は羽生くんにとっての絶対的価値でありますし、戌一さんにとってはトイレットペーパーの芯を積み上げることが絶対的な価値であったのです。


意味のない人生をどう生きたいか
あなたの悩みも、辛さも全て意味も価値もないのです。考えても無駄です。ぜーーーーーーんぶ無駄で意味のないことです。
「これをしても良いのかな?悪いのかな?」と思わなくても大丈夫です。
意味が無いということは、善悪もありません。あなたが「絶対的価値」と捉えるならばそれで良いのです。
という考え方をすれば、気持ちが楽になりませんか?
もちろん、社会では法律というものがあり、ルールやマナーがあるので、限度を超えると生きづらくなりますが。。

落合陽一さんの家では、家訓があったらしいのですが、
最後に、ニヒリズム全開の家訓をご紹介して終わりにしましょう。。
大した命じゃないんだ燃え尽きるまでやれ!(うちの家訓)
この安い命っぷりが努力の秘訣.— 落合陽一 (@ochyai) 2014年3月29日
人生に意味も価値もないよね。