
こんにちは。not(@minimalman10)です。
今回は『自由』について考えていきたいと思います。
ところで、皆さんは自由になりたいですか?
社会や他人、お金など何者にも縛られず、自分のやりたいように生きるというのは誰しもが思い描く理想なのではないでしょうか?
僕もそう思います。
しかし、この言葉はご存知でしょうか?
’’人間は自由の刑に処されている’’
この言葉はフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルが残した言葉です。
僕らが求めているはずの自由に対して、自由の刑という言葉であたかも自由とは辛いことのように表現されています。
サルトルはなぜ自由の刑という表現を使ったのでしょうか?少し考えてみましょう。
人生は有限である
人生とは有限で、いつか人は死にます。
僕もそうです。これを見ているあなたもです。
死んだら天国に行くか、幽霊になって現実世界を彷徨うのかどうかは知りませんが、
多分意識はなく、人と触れ合うことも、美しい景色を見ることも、食事を食べることもできなくなり、もう二度とこの世界を味わうことはできなくなるでしょう。
と、こう考えるとなんだか辛くなりますね。
しかしながら、僕たちは今生きている以上、一度きりの人生でこの世界を味わうことに全力を尽くすべきであり、いろんな体験をすればいいと思います。
選択肢は無限にある
世界を味わい尽くすと言っても、先ほども言ったように人生は有限です。
例えば、極端に言って見ると、人生の全てを『美味しい食事』のために費やしたとすると、『美しい景色』を見ることはできないわけです。
まあ僕の話で言うと、ゲームをしたり漫画を読んだりしていると、外の景色を見て回ることはできないわけです。
朝昼晩何を食べるか?暇なときはどうするのか?遊びたい時は?やりたいことは?何を見たい?どんな仕事をしたい?仕事をしたくない?今行動する?しない?その行動は正しい?本当にそれでいいのか?
日々、このような選択をしているはずです。
このように、人生は選択の連続であり、その選択肢は無数にあります。
自分自身で全てを選ぶ
このような無数の選択肢の中から自分自身で全てを選び取らなければいけません。
その選択をすることこそ「自分の人生を生きる」ということであり、「自分の人生に責任を持つ」ということでもあります。
この選択を他人に委ねるということは、他人への責任をなすりつけることができます。
つまり、他人に選択を委ね、失敗して他人に責任をなすりつけた方が『楽』なのです。
しかし、そうなるとそれはもはや『他人の選択』であり、『自分の選択』はどこへ行ったのでしょうか?
そこに『自分』の存在意義はあるのでしょうか?
また、無数の選択肢から選択しようとする時には必ず悩むでしょう。メリットやデメリット、自分の気持ちなどをを踏まえた上で選択していかなければいけませんから。
そして、人生には限りがあり、一つ一つの選択に責任を持たなければいけません。
なので、自分自身で選択するということは必ず『責任』と『悩み』がつきまといます。
自由になるほど選択肢は増える
ここまでお話ししたところで、サルトルの言葉をもう一度考えてみましょう。
この無数の選択肢がある人生で悩み苦しんでいる僕たちは、やはり自由の刑に処されていると言えます。
この『責任』と『悩み』がつきまとう辛く苦しい「選択」を自由の中で日々、何回も行わなければならないのです。
いっそ死んだ方が、誰かにレールを敷かれた方が、楽なんじゃないかと思います。
しかし、僕達は選択肢に押しつぶされて死ぬ人はいないでしょうし、自分自身で選択をしたいはずです。
だからこそ生きながらにしての自由の『刑』なのです。
なので、縛られれば縛られるほど自分というものが見えづらくなりますが、楽なので生きやすくなります。
そして、自由になればなるほど自分が見えてきますが、選択肢が増え、悩みは増えていくのです。
しかし、人間とは面白いものでレールを敷かれるのを嫌い、あくまで自分は自分でいたいのです。
その先には辛い選択肢の海が広がっているのにもかかわらずその海に飛び込んでいきます。
人間は勝手に自由の刑に処されるようにできているのです。
しかしこの自由の刑に処され、選択肢の海に飛び込んだとしても、自分自身で選択し、道を切り開いて死んでいける人を『僕は』美しいと思います。
人間は「賃貸に住め。家を買うな。」って言われた方が楽なんだよ。
でも、自由っていうのは「どっちでもいいよ。」って言われてるわけで、
賃貸と持ち家よるメリットもデメリットもひっくるめて自分で選択しなきゃならない。
それでも選択できる人を「僕は」美しいと思う。
— not@内向型ミニマリスト (@minimalman10) 2018年8月2日
自由になるのも考えもの。。
— not@内向型ミニマリスト (@minimalman10) 2018年8月2日