
こんにちはnot(@minimalman10)です。
この間、少し面白い考え方だなと思ったことがあります。
それは、元2ちゃんねるの管理人の西村博之さんが言っていたことで、
「自分の決めた価値観や行動を貫ける人が真面目な人であって、
言われたことをそのままやり続けたりする人は真面目な人ではない。それは単なる弱い人間なだけ。」
確かに僕たちは、真面目な人というのは、『言われたことをやり続けられる人』というイメージがあり、
『ただ従順にやり続けられる人』のことを真面目といい、それがあたかも素晴らしいことで価値のある人であるかのようなイメージがあります。
しかし、それは本当に真面目な人でしょうか?
少し考えていきたいと思います。
真面目とは
しん‐めんもく【真面目】
[名・形動] 1 人や物事の本来のありさまや姿。真価。しんめんぼく。「真面目を発揮する」「真面目を保つ」 2 まじめであること。また、そのさま。しんめんぼく。 まじ‐め【真‐面‐目】
[名・形動]《「まじ」は「まじまじ」の「まじ」と同じか》 1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」 2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。 出典 コトバンク
真面目(しんめんもく)というのは初めて聞きましたが、調べたところ真面目(しんめんもく)は本来『真価・真骨頂』という意味であり、真面目(まじめ)と同じ意味でも使うそうです。
真面目とは意味を見る限り、
嘘やいい加減なところがなく、真剣であること。また、真心のあったり、誠実であるということです。
長所は真面目

よく「私の長所は真面目なところで、言われたことをひたすらにやり続けることができます」という人がいますが、
実際のところ『言われたことをひたすらやり続けること』は誰にでもできますし(まあできない人もいるかも知れませんが・・・)、
大多数の人はできるわけです。その上、『言われたことをひたすらやり続ける』というのは只の機械です。
もはや『言われたことをやり続ける』というのは機械が発達した現代では機械の方が優秀なわけです。
なぜなら、人間には感情があるので、機械でいういわゆる「バグ」が多くて、「だるいなー」とか思って作業効率が落ちたり、「居眠り」をしたりして作業が止まっていたりするのです。
なので、『言われたことをやり続けられる』のはこれからは確実に長所になり得ないのです。
指示待ち人間の思考停止

そういった、『言われたことをやり続けられる人』いわゆる『指示待ち人間』は、「思考停止」しています。
ここで、真面目(まじめ・しんめんもく)の意味をもう一度考えてみましょう。
真面目とは、嘘やいい加減なところがなく、真剣であること。また、真心のあったり、誠実であるということです。
また、自分の本来のあり様や姿のことです。
「思考停止」しているというのは、「自分」に嘘偽りはないでしょうか。「自分」の本来のあり方は「思考停止」していて見いだせるでしょうか。
自分の価値観や信念、信仰というのは表に出すと、衝突してしまう可能性があります。
しかし、相手の価値観や指示に従っていれば、衝突することはありません。
衝突しないようにし、思考停止し、従順な人間が「真面目」であると言われていますが、そういう人は元来「不真面目」な人間であるのです。
不真面目な人の正当化
そういった実は「不真面目な人間」というのは賢いもので、あたかもそういった思考停止した従順な人間を「真面目な人間」として、自分を正当化します。
そうやって「真面目な人間」として自分を正当化することができれば勝ちだからです。
なぜなら、『真面目』というレッテルを使えば、なんでも正当化でき、自分を社会的に価値のある人間と思い込み自己防衛することができるからです。
そういう人間は、ただ「弱い」だけです。真面目ではありません。
認識が『個性』を作る

こういったことはただの「認識の差」であり、「定義の差」なのですが、
こういった言葉の定義を作っていくことが、それぞれの『個性』や『生き方の指針』に繋がってきます。
別にあなたが「真面目」な「強い人間」でも、「不真面目」な「弱い人間」でもどちらでもいいのですが、
こうやって言葉を定義づけして、『自分はどうありたいか』というのが最も重要です。
自分が、「真面目」でありたいのならば、自分の価値観や信念を確立して行動や発言をしていけばいいですし、
「不真面目」でありたいのならば、思考停止して周囲に流されながら従順に生きていけばいいと思います。
しかし、「不真面目」なのに「真面目ぶる」のはやめましょう。