
こんにちはnot(@minimalman10)です。
皆さん、刺激的な日々をいかがお過ごしでしょうか。
僕たちは物欲、食欲、睡眠欲、性欲、などその他諸々の欲望とともに生きていますよね。
それらの欲望に対して、様々な「刺激」を与えて暮らしています。
つまり、その欲望に対して「刺激」を与えるという行為の繰り返しです。
ですが、その欲望とは、本当に自分の感じている欲望なのでしょうか?
僕たちはこの繰り返しの中で生きていかなければいけない存在なのでしょうか?
少し、宗教的な考え方や科学的根拠も混ぜながら考えていきたいと思います。
実は人間は「苦しみ」しか感じない?
人間が心と体を通じて感じることのできる刺激は『苦』だけ。
ただその量が増減するだけで、全ての感覚は『苦』でしかない。それなのに、その「変動」を心がデータ処理して、「快楽である」変換してしまう。
これが、現代的に見た「一切皆苦」であり、仏道真理のひとつ、聖なる真理といわれることのひとつです。
出典 貧乏入門
つまり、人間は欲望や欲求という苦しみの中にいて、刺激を与えて欲を満たしたとしてもその苦しみが緩和されるだけで、
その苦しみの緩和も一時的なものに過ぎず、結局は苦しみの中で生きていかなければならないということです。
これを物欲に当てはめてみると凄くわかりやすいです。
例えば、服が欲しいという「苦しみ」の中にいて、欲しい服を買ったとしても、それは一時的な「苦しみ」の緩和に過ぎず、
その買った服には慣れてしまい、また別の服が欲しいという「苦しみ」の中に放り込まれます。
そして、今度はそれだけにはとどまらず、「苦しみ」の緩和を「快楽」と勘違いします。
そして、もっと大きな「苦しみの緩和」=「快楽」=「刺激」が欲しいと感じ、新しいより高級な物を買ってしまうのです。
この「刺激中毒」の光景が、現代の大量消費社会には蔓延っています。
この「刺激中毒」を抜け出さない限りは、このスパイラルの中で死んでいくことになるでしょう。
このスパイラルを抜け出すためには、既に在る物に満足を見い出すことが重要です。つまり、「足るを知る」です。
刺激という名の報酬
では、もう少し「刺激」について深掘りしていきましょう。
まずは有名な実験があるので見てみましょう。
説明すると長いので、詳しくみたい方はこちらをどうぞ。
超超ザックリ説明しますと、
二人の研究者がラットの脳の「報酬回路」に電流を流したところ、反応があったので、
容器にレバーを付け、ラットがそのレバーを押すと脳の「報酬回路」に電流が流れるようにしたところ、
ラットは1時間に7000回もレバーを押し続けたというのです。
その上、空腹状態になっても、隣に発情期のメスがいても、レバーに近づくと電気ショックを与える罰を与えたとしても、
ラットはレバーを押し続けたのです。
もうひとつこんな実験があります。
クヌットソンは被験者たちに脳スキャナーを装着させ、スクリーンにある記号が表れた場合はお金がもらえる、と説明しました。
ただし、お金をもらうにはボタンを押さなければなりません。記号がスクリーンに現れるや否やドーパミンを放出する脳の報酬センターが作動し、被験者は報酬を得ようとしてボタンを押しました。
しかし、被験者が報酬を実際に受け取った時には、脳のこの領域の活動は沈静化していました。(中略)
報酬システムが作動した時、被験者たちが感じたのは「期待」であり、「喜び」ではありませんでした。
つまり、僕たちの脳はドーパミンの「刺激」により、「喜び」を感じたと勘違いしていますが、
実際は「報酬の予感」による「期待感」を感じているだけらしいのです。。
人間は本当は欲望が満たされたくない?
先ほどの「一切皆苦」と合わせて考察してみますと、
僕たちは、ただの「苦しみの緩和」を「幸福(喜び、刺激)」であると勘違いしているということです。
そして、欲望は真に「幸福(喜び、刺激)」を求めているのではなく、「報酬の予感(期待感)」を求めているのです。
だから、僕たちは実際に気づいているはずです、物は購入する前が一番楽しいことを。そしてその楽しさは購入した後には薄れていくことを。
しかし、僕たちはラットがレバーを押し続けたように、物を買い続けます。今度こそ「幸福」が待っていると「期待」しながら。
このような例は、もう一つ挙げられます。インターネットやテレビです。
次は何らかの面白いコンテンツが見られるだろうと思いながら「期待」し、
リモコンでザッピングし続け、twitterを上に引っ張ってタイムラインを更新し続け、youtubeで動画を漁り続けるのです。「報酬」の虜になったラットのように。
これは実際、自分にもよくあります。
意識していないと、グルグルとtwitterやyoutube、instagramを行ったり来たり、次は更新されているはずだと言わんばかりにスマホを触り続けているときがあります。
現代社会では購買を誘うCMや新商品や新体験やコンプレックス問題の解決、美味しそうな食べ物、宝くじ、パチンコなどのギャンブルなどといった「報酬の予感」がいたるところにあります。
そんな社会では、まずは欲望に『気づく』こと、そして「ただの脳の報酬の期待」なのか、「本当に自分の求めていること」なのかを見極めていくことが必要です。