
こんにちは。not(@minimalman10)です。
最近こんなコメントを見て、少し考えさせられました。
ビートたけしさんが『ビートたけしのTVタックル』でミニマリスト特集をしていた時に、
「要するにただの貧乏人だろ?」
「文化は無駄なもの。慎ましく生きたら文化ってあるのかな」
などミニマリストなら考えさせられざるを得ない発言をしていました。
この発言について考えたことをお話ししていきたいと思います。
ミニマリストはただの貧乏人?
ミニマリストは端から見ると、
「カッコつけたこと言ってるけど暮らしは貧乏暮らしだよね」
「なんだかかわいそう。実際は辛そう。」
とかいう意見もあるかもしれません。
しかし、僕はミニマリストはただの貧乏人ではないと考えてます。
貧乏(びんぼう)(英語:poor)とは、財産や収入が少なく生活が苦しいこと。貧しいさま。
引用 wikipedia
ミニマリストの方は、決して生活が苦しくはないですし、
財産や収入は低い人もいるかもしれないですが、もちろん高い人もいます。
貧乏というよりもむしろこちらの言葉の方が当てはまる気がします。
その言葉とは『清貧』です。
通常、貧乏という言葉にはネガティブなイメージが付きまとうが、節制を常とし『無駄な経費を使わない』という点においてはむしろ高潔なイメージが強い。そうした無駄な贅沢を好まない理念を、特に清貧と呼ぶことが多い。
出典 wikipedia
自ら貧乏に飛び込むミニマリスト
貧乏な人は、貧乏暮らしがやりたくてやっているわけではありません。
貧乏な人は、そんな生活を今すぐ抜け出したいのです。
しかし、ミニマリストはそれにわざわざ飛び込んでいきます。お金があったとしてもいわゆる貧乏暮らしを選択するのです。なぜなら、そこに十分幸せを感じることができるからです。
同じ貧乏暮らしの中でも、ミニマリストはお金の心配はなく好きなことをでき、『選択的貧乏暮らし』をしているのに対して、
貧乏人は、お金の心配や不安にかられながら、お金がないから何もできないという『強制的貧乏暮らし』をしているのです。
もちろんどちらが幸せかは明らかです。この違いが貧乏と清貧の差であり、
ミニマリストがただの貧乏人でないと言い切れる理由です。まあでも、貧乏暮らしは貧乏暮らしなんですけどね。。
『そこに幸せを感じれるかどうか』が大きな違いです。
無駄とどう付き合うか
「文化は無駄。慎ましく生きたら文化ってあるのかな」
このコメントについて僕が思うことは、
僕は、別に文化は不必要だとは考えていません。ただし、現代では文化が溢れすぎているのです。
なので、無駄が多すぎて、生きづらくなっているのは確かです。
本当に必要なもの以外を取り除かなければ、生きる上でやりたいことに集中できなくなります。
結局ミニマリズムとは、無駄(文化)を浮かび上がらせるための一つの方法でもあるのです。
無駄(文化)を選択するライフスタイルといってもいいかもしれません。