結婚は絶対にするべきではない。結婚とは非合理性の塊のこと。

 

「学校に行って、大学を出て、就職して、結婚して、子供が生まれて、老いて、死ぬ」

と言われる所謂、「普通の幸福」というものが価値観としてありましたし、今でもあります。

 

しかし、昨今では「多様性」が叫ばれており、その普通を疑う人が段々と多くなってきました。

それにより「結婚」というものも絶対的な価値観ではなく、もはや選択肢の一つになりつつあります。

 

まあ、そうでしょう。何故なら、「結婚」というものは『非合理性の塊』だからです。

多くの人が段々と気づき始めて、そのメッキが剥がされてきました。

 

結婚の非合理性

 

結婚をすることで一緒に寄り添う人ができ、もしかしたら子供が生まれてみんなが憧れる幸せな家庭というものを築けるかもしれません。

 

しかし、子供を育てるのには約3000万円ものお金がかかると言われていますし、

他者と一緒に暮らすということは自分というコントロール可能な要素ではなく不確定要素でしかないので、仲違いをして消耗してしまったり、イライラを募らせることなんて日常茶飯事でしょう。

 

それはパートナーだけではなく、子供に対してもそうです。どのような問題を起こすかわからないですし、子育てというものは非常に大変です。

そのようなリスクを取ってまで運でしかない幸せな家庭というものを築こうとするべきなのでしょうか。

 

家庭を築くということは大きな責任と圧倒的な経済的・時間的不自由に束縛される行為です。。

 

 

部活動から考える結婚

 

と、このように盛大に結婚を批判してみましたが、、

「合理性」から考えると確かに結婚というものは「非合理的」だと思います。

 

しかし、僕は「合理性」として「結婚」というものを考えていないので、先ほどのようには考えていません。

 

ここで少し考え方を変えるために具体例を挙げてみます。

 

あなたは過去に「部活動」をやっていましたか?

 

僕は「部活動」と「結婚」は似ていると思っていて、

「部活動」って『練習:試合=9:1』ぐらいの割合だと思うんですけど練習の大半って苦しくて辛いと思うんですよ。

部分ごとを切り取った反復練習や走り込みを始めとするフィジカルトレーニング等々、

 

でもなんで練習に行くかっていうと、その1割の試合で成果を上げることが嬉しかったり、練習後の仲間との少しの交流が楽しかったりするからなんですよね。

でもその1割の為に9割を費やすって凄い非合理的だと思うんですよ。

 

ですけど、その9割を費やしたお陰で1割が物凄く輝く瞬間があるんですよね。

 

 

「結婚」も苦しいことや辛いことが大半で、嬉しいことの方が少ないと思うんですけど(勿論、9割嬉しいよという人もいると思います)、

そこを乗り越えてからしか見えない景色があるから、その1割に価値があると思うからするんだと思うんです。 その小さくて特別なものに対してその他9割を費やしても価値を見出すことができるのかどうかが「結婚」です。

 

 

だから、「結婚」というものを「合理性」という観点から見るべきではないのかなと、、

そもそも人生の目的を「合理性」という観点から見ることはおかしいのではないかと、

 

合理的なものに対して合理性を追求していくのではなく、

非合理的なものに対して、合理性を追求していくというのが人生なのではないかと。

 

そう思うわけです。

 

 

タイトルに釣られて、自分を肯定しにきた人ゴメンなさい。

したいけどできないから目的を「合理性」にすり替えるというのはダメですよ。

 

 

ネットの意見は全てが目的を持っている

 

ここまで「結婚」について色々、書いてきましたがここで伝えたいことは二つあります。

 

一つは「結婚についての認知を少し考え直してみて欲しい」ということと、

もう一つは「ネットの情報発信や意見を見る上で考えておきたいこと」です。

 

例えば、今回の記事のタイトルや冒頭で「少し言い過ぎなんじゃないか」なんていう違和感を感じた人はいるんじゃないでしょうか。

しかし、冒頭で「結婚」について批判したことは間違ってはいません。

何故なら、冒頭の批判している時の目的が「合理性の追求」だからです。つまり、「デメリットが少なく、メリットが多いこと」が正解です。

 

ですが、目的が「多様性の追求」だった場合どうでしょうか。

「結婚をするな」というのは「多様性の追求」にはならないわけです。「結婚はしてもいい。でも、しなくても良い」というのが正解です。

 

ここで両者がぶつかると『論点がズレる』ということになってしまいます。

「結婚は合理的に考えてするべきではない!」と言っている人に対して「全ての人は結婚してもいいし、しなくてもいいだろう!」と批判しても何のこっちゃわかりません。

 

つまり、意見を言っている人は「目的」に対して「こうするべきである」というポジションを取っているわけです。

そのポジションを取っていることが正しいかどうかということも大事ですが、その人はどういう目的を持ち、そのポジションを取って発言をしているのかを見抜く必要があります。

 

気をつけましょう。

 

 

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