人付き合いが苦手な人間の「話せない」と「話さない」との違い。

 

こんにちは。not(@minimalman10)です。

 

僕は「内向型」なのであまり人と話さないです。そして、話すのが苦手です。ですが、もちろん仲の良い深い関係を持った人たちとは話しますが。

 

そのような友達と接していく中で「仲の良く無い人」や「初対面」の人とはあまり話さないので、

 

「コミュ障!」とか「人見知り!」とよく弄られたりします。

 

しかし、僕は小さい頃からサッカーをしたり、外向的を良しとする家庭や環境で育ったので「外向性・社交性」というのは無理やり身につけさせられています。

なので、「どういう風に接すれば話せて、どういう話題を振れば盛り上がるのか」という仮面を被る行為ということは得意な方であると思っています。

 

しかし、それはあくまで社交のための「仮面をかぶる行為」であって「自然体」ではありません。

 

それは、僕だけではなく多くの『話すことが苦手な人』がそうであると思います。

 

「話す」というコスト

 

 

このTweetにもあるように「あまり人と話さない人」「内向型」「HSP」という人達は、

 

『話すこと』に「話すことが好きな人」よりも『コスト』がかかるわけです。

その『コスト』とは先ほど言った『仮面をかぶる行為』とも言えます。

 

そして、そもそも『仮面をかぶる行為』ができない人というのが「コミュニケーション障害」であると思っています。つまり「話せない人」です。

まあ、今回は本当の「コミュニケーション障害」人の話ではなく、「あまり人と話さない人」「話すのが苦手な人」の話です。

 

 

「話せない」のではなく「話さない」

 

 

「あまり人と話さない人」というのは生きてきて感覚的に『話すことにかかるコスト』がかかることが理解できています。

 

なので、その『話すことにかかるコスト』『話した後に得ることのできる価値』ということを考えながら、「話すか話さないか」を決めているのです。

 

もちろん、「話して面白そう・何か得れそう・話したい」と思えば話したことのない人でも話しかけにいきますし、

「話して疲れそう・面白くなさそう・特に話さなくてもいい」と思えば話しかけませんし、関わろうとしません。

 

損得感情ではない

 

こういうことを言うと、

 

「お前は人と話す時に損得感情で決めているのか。」

 

と言う声が聞こえてきますが、損得感情ではありません。

 

「あまり人と話さない人」というのは「話さないこと」が『普通』なのです。

つまり、「あまり人と話さない人」からすれば「なぜわざわざ疲れにいかなければいけないのか?」という感覚です。

 

では、逆に「話すこと」が『普通』という人からすれば「わざわざ隣に人がいるのになぜ黙るのか?」ということになります。

それは「話している方が楽で普通だから」です。それと同じで「話さない方が楽で普通」という人もいるのです。

 

「話さない」でも別に良い

 

別に「あまり人と話さない」でもそれが楽ならばそれでいいですし、話したければ話せばいいんです。

 

なので、「話す人」を「深く限定する」ということは、

「話さない人」にとっては『話すことでかかるコスト』を抑えるという上手な生き方ではなのでしょうか?

 


 

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