「働かない生活は本当に幸せなのか」という実験をしてみた。

 

僕は「セミリタイア」を目指す前は「アーリーリタイア 」を目指していました。いわゆる「隠居」というやつです。

 

 

しかし、僕はふとこう思いました。

 

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「働かない暮らしは本当に幸せなのか?」

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もしかしたら、働くことよりも働かないことの方が精神的に負荷がかかるのではないだろうか?

 

「人間は暇になると何をしたくなるのか?そんな時、何に幸せと感じるのだろうか?」「暇な時、幸せの感度はどうなるのだろうか?」

「労働からの解放をされたところで自分は何をしたいのか?」「その時の自分の心はどう感じるのか?」

このようないろんな疑問が湧き上がってきました。

 

「百聞は一見に如かず」というように、試してみないとわからないので、ルールを決めて『働かない暮らし』の実験をやってみました。

 

ニート実験始動

 

実験内容

働かないもしくはタスクがなくなると人はどうなるか。

・約2週間

・日常生活は普通にする(風呂、歯磨き、食事、掃除など)

・やりたいことだけをする(ただひたすらにゴロゴロする)

・携帯は使ってOK

・あまり何かを考えすぎない(←POINT)

 

実験結果

 

約2週間という短い間でしたが、無事?実験は終了することができました。

では、実験結果を見ていきましょう。

 

家の中でしていたこと

 

常に部活やらで忙しい僕に「何もしなくていいという解放感」は最初は慣れなかったものの、次第に自分の中で浸透していきました。

大体の行動はこんな感じです。

 

  • Twitter.Youtube.ソシャゲの行き来
  • 漫画を読む
  • 昼寝をする
  • 映画を見る

 

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「読みたい漫画」も尽き、「面白いサイト」も無くなり、Twitterの更新音だけが響いていました。。

 

面白くないのにやめれない現象

 

しかし、不思議なことにまだ僕はそれらを止めようとはしませんでした。

新しいサイトや動画、ゲームを探したり、読んだ漫画を読み返したりし始めました。

 

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もはや「脳」が指令を出して行動させているという感覚です。

 

『本』や『パソコン』も家に持って行ったのですが、活字を読む気には一向になれず、ブログも書きたい気は起こりませんでした。

 

楽な方へ行こうとする人間

 

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ここで感じたのは人間は自分の行動計画や方向性を決めてあげないと常に楽な方へと行こうとするということです。

 

思考停止してしまうと、まず「それが自分にとって一番楽しいか」「それが自分にとって一番好きか」ということでなく、

『第一条件に楽かどうか』があり、『その次に自分にとって楽しいかどうか』やることを選んでいっているような気がしました。

 

その例として、「読書」や「ブログを書く」という行為でこそ「漫画を読むこと」や「映画を見ること」「携帯をいじること」よりも、

『意識的な活動』なので、めんどくさく感じてしまいしなかったことが挙げられます。

 

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もちろん「食事をすること」や「風呂に入ること」もめんどくさくなってきていましたよ。

 

 

罪悪感が襲ってくる

 

そのようにゴロゴロしながら、ただひたすらに「携帯」や「漫画」を行き来していました。

 

ですが、頭の中ではこのような考えが頭をよぎります。

 

「そんな生活で本当にいいのか?」「本当に充実しているのか?」「今、幸せか?」

「やるべきことはまだまだあるぞ?」「また今日も無駄に過ごしてしまったな」

 

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しかし、こういった考えがよぎるということ「充実」していないし「幸福」でもないんですよね。。

 

それは僕の行動の第一優先事項が『楽なこと』であったためであると思います。

 

考えて行動していないときは脳を客観視し、「楽だからという理由で行動していないか」ということを見極め

「自分で自分を計画し方向性を決めて行動させ、日々思い通りにコントロールしてあげること」が、『充実した幸福な生活への道』であると感じました。

 

 

【教訓1】 楽なことだけをしていても「本当の幸福」は得られない。 

 

「働かないこと」が目的ではいけない

 

基本的に「働かなくなったからといって楽しい人生になるのか」と言われるとそうではないと思いました。

 

「働かないこと」というのは「やりたくないことが一つ減っただけ」で、その時点ではマイナス要素が減るだけでただのニュートラルです

必ずしも「働かないこと」がプラスの人生を歩ませてくれるのかと言われるとそうではないです。

 

何らかの「目的」があって、その「手段」として「働かないこと」がなければ辛くなるだけだと思います。

 

どのような「喜び・幸福」を感じたか

 

主に感じたのは、

「漫画が面白い」「ゲームが楽しい」「動画が面白い」「コンテンツが面白い」「食事が美味しい」といった「刺激」や「快楽」でした。

 

しかし、足るを知りながら生きていることが幸せであるとか、日々の生活が眩しくて美しいという、

当たり前のことに目を向けて幸せを感じることはありませんでした。。思考停止しようとしているので。。

 

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なので、「快楽」や「刺激」を感じることができても、「幸福感」や「充実感」は皆無でした。
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脳的には、もはやそういう感じようとする『意識的な思考』がめんどくさいのだと思います。

 

 

【教訓2】 思考停止していると幸福感を感じることはできない。幸せは感じるものである。

 

人との繋がりは必要

 

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今回この実験で僕が一番感じたのは『人との繋がり』の必要性です。

 

いつもなら部活やら学校生活やらで人との繋がりがありますが、

実家に帰ってほぼほぼ引きこもり状態で生活していたので、今回の約2週間はほぼ人との繋がりを断絶していました。

 

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でも、やっぱり友達なんかと遊ぶと「快楽や刺激の楽しさとは違う楽しさ」があるんですよね。

 

様々な幸せの形』がありますが、一人で多くの幸せの形を掴みとるには限界があります。

なので、何らかのコミュニティに所属することが重要になってくると思います。

家族、恋人、友人、部活、会社、サークル、などなどです。

 

社会に組み込まれたものだけでなく、他にも共通の趣味などを通したコミュニティが無数に存在します。

インターネットが普及した現代ではそのようなコミュニティを「見つけること・作り出すこと」は容易です。

少なくとも、それらのコミュニティにいくつか所属し、人との繋がりがあれば、自分にとっての新しい幸せの形を作り出していくことができると思います。

 

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人との繋がりは「重要」ではなくとも「必要」です。
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まあ、僕内向型なんで『人との繋がり』はたまにでいいです。。

 

【教訓3】 人との繋がりは「重要」ではないが、「必要」である。

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。やはり思考停止してしまうと人間はダメになりますね。

 

僕が今回感じたのは、「働かなくても自分を律することができる」のなら幸せな生活を送ることができるということです。

しかし、「楽になることが先行してしまう」とそれは『本当の充実した幸福ではない』のではないではないかと思います。。

 

【結論】 働かなくても自分次第で幸福になれる。

 

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