批評家の愚かさ。

 

「批判」って大事ですよね。少なからずとも僕は大事だと思っています。

全員が全員、同調していては良いものは生まれないじゃないですか。

 

ダメなものはダメだとハッキリと言うことは大切です。それは自分にも、相手にも。

キッチリと明確な判断基準を持って接することは自分の為にも必要ですし、相手の為にも必要です。

 

 

 

ただ、一つ気になるのが「その批判って意味あるの?」ということがたまにあるということです。

今回は「質の良い批判(価値のある批判)」と「質の悪い批判(意味のない批判)」について考えていきたいと思います。

 

批判と中傷

 

まあ、まずその前に「批判」と「中傷」の違いをしっかり区別しましょう。

 

「批判」というのは「物事をしっかりとした判断基準で評価する」ということです。

「中傷」というのは「根拠が無く、相手を傷つける行為」です。

 

批判で傷ついてしまうというか弱い人もいるので、『根拠があるかどうか』という線引きは正しいのかもしれません。

 

では、根拠がありながらも相手を傷つける行為は中傷なんですかね。

例えば、タカシの母ちゃんがでべそであるという明確な根拠がありながら「お前のかあちゃんでべそ」と言ってタカシを傷つけてしまった場合とか。

 

まあ、続きは法廷で。

 

「悪い批判」

 

では、本題に戻しまして、早速、結論から言わしてもらいますと、

 

「悪い批判」というのは「ただの批判」のことです。

 

「◯◯だよね。」って言ったことに対して、「でもそれってダメだよね。◯◯だから。」と言うことです。

そんな無茶苦茶な。と思うかもしれませんが、僕はそうだと思っています。

 

前に進もうとして意見を言った人の意見を後ろに引きずり戻しただけです。勿論、その方向性がダメだと思うから引きずり戻したわけですが。。

なので、その方向性に進むべきではないという意味で前に進んでいるのかもしれませんが。場所的には0地点に戻っただけです。

それでは「引きずり戻しあい」になってしまいます。

 

「良い批判」

 

では、「良い批判」とは何か。

 

それは「批判+改善策」がセットで出ることです。

「◯◯だよね。」って言ったことに対して、「でもそれってダメだよね。◯◯だから。じゃあ、こうした方がいいんじゃない?」までいきましょう。という話です。

 

これが「良い批判」だと僕は思っています。

 

本当に「前に進ませたい」という思いがあるのなら、本当に相手のことを思っているのなら、

「悪い批判」で終わらせるべきではないはずです。よね?

 

最後に

 

冒頭で「批判」って大事だよね。という話をしましたが、

 

最後に自分の本心を言わせてもらうと、

本当に伝えたいことは「良い批判」がどうだとか、「悪い批判」はこうだとかではなく、

 

「批判・批評なんてクソだ」ということです。

 

それはなぜかというと、実質0地点なんですよね。

どれだけアイデア出しをして、批判や改善を繰り返し、起業アイデアをひねりだしたところで、結局起業しなければ単なる妄想です。

どれだけ社会構造の穴をほじくりかえして並べ、根拠を揃えていたところで家でゲームをしていては社会は何も変わりません。

 

「批判+改善策」は誰かにとっては意味のあることになるかもしれませんが、

「批判+改善策+行動」までがセットでできて初めて自分にとっての意味があることになります。

 

なので、自分の人生に意味のあることをするためには「批評家(批判+改善策どまり)」になっていてはダメなんですよ。

これを見た人は是非とも批評家にならないようにして欲しいですね。別に自由ですけど。無駄なんじゃないですか?という提案です。

 

社会が。友達が。親が。才能が。環境が。性格が。才能が。

じゃあ、そんな中で、お前はどうするの?それらを変えたいの?変える気がないのなら批判してても自分の人生に意味ないよね。

 

というお話でした。さようなら。

 

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