「自分」という宗教を確立しよう。「正解」は「信仰」でしか生まれない。

 

こんにちは。not(@minimalman10)です。

以前、自分自身の正解とは自分自身で定義づけしていくしかないというお話をしました。

 

人間は自分で言葉を定義づけして生きていかなければならない。思い込みは捨てよう。

2018年8月15日

「嫌なこと・嫌いからは逃げろ」の問題点。言葉を鵜呑みにする危険性。

2018年8月14日

 

今回は、結局、人生は宗教であるというお話をしていきます。

 

「正解」」は「信仰」からしか生まれない

 

その時々の「正解」ということは誰にもわかりません。

なぜなら、自分自身にとっての「正解」とは、全てを試してみて最も良いものが「正解」であるからです。

もし、不老不死ならやってみるといいと思いますが、僕らの命には限りがありますので、

 

生きていく中で、「正解」を見つけ出すことは絶対にできないのです。

 

例えば、僕は大学生活は投資活動なので『遊ぶべきではない』と思っています。

「大学生の内に遊んでおけ」という嘘。

2018年5月22日

 

しかし、一見合理的で正しい結論のように見えますが、

もしですよ、もし、『遊ぶ方』が正しかったとすればどうしましょう。

もし、遊びまくって、毎日わいわい騒いだり、楽しいと思うことを片っ端からやって、人脈が広がって、

例え、大学生活のお金が無駄だとしても、結局その遊んだことが将来仕事に繋がって、

『遊ばなかった自分』よりも『遊んだ自分』の方が良い結果を残すことのできる人生だったとしましょう。

 

じゃあ、僕にとっては『遊ぶ方』の方が「正解」なのかもしれません。

でも、それはあくまで「if」であって不確定です。どちらが正しいのかはやってみなければわかりません。

 

しかし、僕は「遊ばない方」を「正解」であると「信仰」しているので、

今日も僕は自分のしている行いが「正解」であると信じて作業をするわけです。

 

このように、僕が「正解」であると「信仰」していることならば、それはもう「正解」です。

 

なので、「正解」とは「信仰」することでしか見つからないのです。

 

 

「信仰」と「能動的ニヒリズム」

 

人は何かを信仰して生きていかなければいけません。

 

全てに価値がなく、意味もない人生の中で、何かの自分だけの信仰を見つけて、

それを人生の価値であり、それが「正解」であると信じなければいけません。

これは能動的ニヒリズムのことでもあります。

 

人生に価値も意味も無し。ニヒリズムとニーチェの主張。

2018年4月24日

 

 

自分という神を祀る

 

自分という神というのは、凄くナルシシズムのような、エゴイズムのようなことを言っていますが。。

 

僕は仏教やら、キリスト教やらの言っていることは的を得ていることはあることもあると思っています。

しかし、宗教信仰というのに些か違和感があります。

 

つまり、宗教信仰というのは「他人の決めた正解」を信仰しているわけです。

これを信仰するのってその「正解を決めた他人」だけでいいんじゃないんですかね。。

 

他の宗教の言葉や教義(ドグマ)を借りたとしても、全てを鵜呑みにする必要はなくて、

自分が「正解」であると思う宗教を「自分教」として確立していけば良いのです。

 

故スティーブ・ジョブズもやはり、他人の「正解」で生きることにはナイーブだったようで、

下の言葉でそれが見て取れます。

 

あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。

ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。

他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。

そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。

スティーブ・ジョブズ

 

争いが起きるのは信仰の押し付けあい

 

「悪いことをすれば自分に返ってくる。逆に良いことをすれば自分に返ってくる。」「人に優しくすれば誰かが見ている。」

「良いことをしていれば天国にいける。」という教義(ドグマ)は誰しも聞いたことがあると思います。

 

もし、あなたが「信仰」すれば、これらはあなたにとっての「正解」です。

しかし、これを他人に押し付けると「争い」になります。

例えば、「良いことをしていると天国に行けるからお前もやれ。」という具合に。。

 

 

もう一つわかりやすい例を挙げると、例えば、「Aのアーティストが最高だ。」という人と、「Bのアーティストが最高だ。」という人が、一番を決めようとしてしまったのなら、一番論争は避けられません。

しかし、前者の人にとってはAのアーティストが最高というのは「正解」です。

そして、後者の人にとってはBのアーティストが最高というのは「正解」なのです。

 

ここで平和な世界を作るならば、それぞれの「信仰」した「正解」を受け入れていくことです。

「お前はあれが好きなんだね。俺はこれが好きなんだ。」という世界を作ることです。

そして、批評をするのなら、「あのアーティスト、クソじゃん」ではなく、「あのアーティスト、もっとこういう音楽性を出していけば良いじゃん」です。

 

 

最後に、、

 

あなたが、何かを信仰することによって「正解」や「価値」は生み出されます。

それは「行動」であったり、「教義(ドグマ)」であったり、「好きなこと」であったり、「仕事」であったり、「生き方」であったりします。

 

今後、何かに迷った時は自分を信じて、

 

自分で選択した物事を「信仰」し、「正解」を創り出すということが必要です。

 

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